真逆な2つを合わせ持つ
全く相反する2つを兼ね備えること
京セラの創業者で経営の神様とも呼ばれる稲盛和夫氏の考えや、行動に示させるものだ。
この相反する2つを両立させる考えは、中国古典に出てくる「中庸(中道)」とは異なる。
また、右か左か、黒か白か、優しい人か厳しい人か、お金か心か、といった片方を取ると言ったことでもない。
では、どうい事なのか。
ここからは、稲盛氏の事ではなく、私の考えと経営者の方々の会話から見えてきた内容を書き下ろす。
片方を選択することは簡単だが、悩む
仕事や経営、純粋に人生を生きているだけでも選択の連続だ。
Aにするか、Bにするか。どちらか決めないといけない場面は多い。
どちらかを選ぶという事は、両者(または複数)の優劣を比較してより良い方を選ぶ行為だ。
どちらかを選ぶという事はどちらかを捨てるという事、つまり取捨選択をしていることだ。
優劣を決めることは定量的に評価すれば可能であるし、会社の指針などを基準に考えれば判断する事は比較的難しくはないだろう。
しかし、選択しなかった片方、もしくはその他の選択肢を選んだらどうなったのかと悩む。
また、その選択肢を入れることで得られたもの、繋がれた人との関係などもあったはずだと惜しい気持ちになる。
何だか損した気分になってしまうのだ。
一挙両得とは違うのか
では、両方を一気に手に入れれば良いのでは?と考える。
両方得る、複数のものを同時に得る。というと、「一挙両得」といった4字熟語が思い浮かぶ。
「一挙両得」とは、「一つの事をすることによって二つの利益を収めること」である。
しかし、「両極を兼ねる」とはこの様な、「少ない労力で沢山のものを得よう」という考えとも違う。
・論理的で明快な考えと、感性的で感情豊かな気持ちを併せ持つ
・自社の利益を追求しながら、社会の利益にも貢献する
・会社の発展、反映を求めながら、社員の成長や家族の豊かさ、プライベートの充実を助ける
・大胆な戦略を立てた上で、実行面では細心の注意を払う
・自由で誰でも考えや意見が出せる雰囲気はあるが、規律は守られている
といったものだ。
一挙両得のイメージとはむしろ真逆で、両極を兼ねるのは大変な労力が必要と言える。
二兎を負うものは一兎をも得ず、とも違う
昔から、「二兎を負うものは一兎をも得ず」と言うではないか。
そんなに、あれもこれもと求めるから難しくなるし、上手くいかないのだ。
という声も聞こえてきそうだ。
確かにそういう考えもあるだろうし、私もそう思っていた時も長くあった。
しかし、二兎を得るというのは同じ物を沢山追い求めている様子だ。
欲深いことへの戒めだと考える事ができる。
しかし、「両極を兼ね備える」のは欲深いこととは違う。
大切にしたい事が相反する部分にある時に、どうすればそれが成り立つのかを考えて行動することに本質がある。
「両極を兼ねる」に考えが至った訳
その昔、私がまだ学生だった頃に、父親に「飯を食べるために仕事をするのか、仕事をするために飯を食べるのか。お前はどっちの人間になるのかよく考えろ。」と言われた。
当時の私には全く理解できない内容だったが、それから社会に出て仕事を始めて、様々な状況に出会う中で、
・飯を食べる(生活の糧を得る)ために仕事をする必要はある
・良い仕事をするためには、飯が食べれている(衣食住が足りている)必要がある
と、状況やタイミングによって自分の気持ちも変わるという経験をした。
つまり、片方だけで成り立つものではないと考えるようになった。
この頃から、どちらか一つを選ぶのではなく、必要なものを両方成立させるにはどうすれば良いか?と考えるようになった。
複数の経営者が口を揃えてこう言う
複数の経営者と話をする中で、以下の様な話を聞く事が多くあった。
・会社の利益追求だけではダメだと分かった
・取引先にも儲けて欲しい
・地域社会にも貢献し、お世話になった分を還元したい
・社員に(仕事に必要な)専門性を持たせたいが、同時に人間力を高めることもさせたい
・社員、部下への指導の厳しさと認めて褒めて伸ばすことへのバランスをどうとるか
・お客様のことだけでなく、社員のこと、社会のことを考えて行動をとるとより良い企業になった
この様な話からも、一つの特徴が見えてくる。
「どうすればもっと良くなるか」、稲盛さんの言葉を借りると「利他の心」を考えると、
自分だけ良くなる方法を考えるのではなく、
周りも自分も良くなる方法、
従業員も会社も良くなる方法、
顧客も会社も地域も良くなる方法、
を考える。
近い言葉に、近江商人の言葉に「3方よし(「自分良し」、「相手良し」、「世間良し」)」がある。
相手には、顧客や仕入れ先だけでなく、従業員や家族といったものも入るだろう。
複数の経営者が利益追求という事業行動の中で、それと相いれない部分も必要だと発言していることが、
正に両極を兼ねる考えであるし、またその考えがないと会社経営は無味なものになってしまうのだろう。